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[お知らせ]2010年12月13日掲載

電子版・日本全国「おばあちゃんの台所仕事」が完結しました

(写真)取材中のひとコマ。香川県小豆島のそうめん
製造所にて。そうめんを干す場所に並んでいた扇風機。

≪「栄養と料理」創刊75周年記念!電子版・日本全国「おばあちゃんの台所仕事」が完結しました≫
ご好評をいただいております電子版・日本全国「おばあちゃんの台所仕事」も、2010年4月に北海道をスタートし、途中スイスを経て、12月には沖縄に達し、番外編を含め、9か月間で完結させることができました。連載している間、皆様からたくさんのご反響をいただきました。どうもありがとうございました。
今後も、ずっと掲載しておりますので、ご愛読のほどよろしくお願いいたします。
(デジタル制作室/吉岡由美子)


*では、『栄養と料理』本誌に連載していた当時の担当者による≪電子版編集後記≫を、お楽しみください。

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電子版「おばあちゃんの台所仕事」編集後記
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 『栄養と料理』誌上で「おばあちゃんの台所仕事」の連載を担当させていただいた身にとって、今回のデジタル化は、皆さまにもう一度、連載記事のすべてをお読みいただける機会が実現されたことになり、大変うれしく思っています。
連載当時を振り返ってみますと、全国を訪ね歩いたおばあちゃんたちは皆さん個性的な生き方をしてこられましたが、共通している芯のようなものがあったように思うのです。それは、日本人女性の平均寿命が80歳を超えるようになってかなり経ったものの、おばあちゃんたちの脳裏には、戦中戦後の食料難の時代がいつまでも刻み込まれているのではないかということです。

 私は明治生まれの祖母と暮らしていたので、よく昔話をしてもらい、その経験談やたくましい生活ぶりにはいつも驚かされていました。世間が不安ムードのときでもマイペースで、孫の前ではいつも笑顔、学歴はなく経済的に苦労しながらも元気に健康に生き、縁側でひなたぼっこをしながら居眠りする祖母を眺めては、つくづく「人生、なんとかなるもんだ」と勇気づけられたものです。それも、きっと、戦争や食糧難を生き延びてきたバイタリティのあらわれであったように思います。
 
 子どものころから“おばあちゃん”には、とかく思い入れが強かったのですが、さまざまな新しい料理と出合う機会の多い職に就いたものの、自分が食べるものに毎日さほど変わりばえがしないことに、あるとき気づきました。それはどうやら自分だけでないことを知り、だとすると、おばあちゃんたちはそうとう長い間、同じ料理を作って食べてきたのではないか? つまり、その料理(郷土料理というよりも、家庭の中で食べるもの)に関しては、なんらかのこだわりやそれなりに研究のあとがうかがえるのではないか――そんなことを考えているうちに、2005年1月号から『栄養と料理』で「おばあちゃんの台所仕事」の連載が始まることになりました。 
 
 日本全国47都道府県、月刊誌なので1年12回の連載ということでキリよく48回構成とするため、海外の番外編というおまけもつきました。取材をするにあたっては、女性にとってかなり「プライベートな空間」である台所に潜入するため、まずは友人や知人のつてを頼りに取材先を探したものです。

 徐々に読者などからの推薦が増えてきたものの、回を増すごとに未取材地域からの応募数が減っていき、後半は苦戦を強いられました。それでも、たくさんの人の支えのおかげで、なんとか毎月の〆切に間に合い、無事故無違反、けがも病気もなく完結でき、なんと恵まれたことか!と、感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 おばあちゃんに取材をしていると、どこに行っても「どこの料理がおいしかった?」と聞かれるのですが、嘘偽りなくどれもおいしかったんですよ! 詩人の金子みすずさんは「みんなちがって みんないい」と言いましたが、まさしくそのとおり。20年も30年も作り続けている“十八番”を出すわけですから、ただおいしいだけではなく、その料理との出合い、試行錯誤の歴史、食卓を囲んだ人たちとの思い出など、エピソードは尽きません。とにかくこの話題になると私はキリがなくなるので、後記はこのへんで。あとは過去の記事ではありますが、それぞれのおばあちゃんの“味”をじっくりとお楽しみください。
 お読みいただくには次のアドレスをクリックしてください。 http://eiyo.sub.jp/75/index.html (『栄養と料理』編集部/浜岡さおり)