世界じゅうを旅して各国の料理を研究し続けてきた荻野恭子さん。
その深い見識と天性のセンスから生まれるレシピは、料理やおいしいものが好きな人たちの心をぐっとつかんで離しません。
そんな荻野さんに、新刊『塩ひとつまみ それだけでおいしく』のお話を介して、料理に対する思い、家庭料理を作る人へのメッセージを伺いました。
撮影/鈴木泰介
おししいものとは、素朴で簡素なもの。 塩はそれを成立させる唯一の調味料だった。
―『塩ひとつまみ それだけでおいしく』は、荻野さん念願の「塩」をテーマにしたレシピブックです。なぜ、「塩」をテーマに本を作りたいと思われていたのですか?
荻野 私は今まで世界じゅうを旅して、料理を研究してきました。本当にいろいろな国をたくさんまわりましたけれど、世界に共通する究極の調味料が「塩」です。もともと塩を究めたいと思ってまわったわけではありませんが、どこに行っても塩はあります。それぞれの国や、地域の人たちならではの「塩使い」があって、まわればまわるほど、塩の魅力に気づかされることばかりでした。
世界にはさまざまな調味料がありますが、中には本当に塩しか使わない国もあります。たとえば、ロシア。ロシアは特に端から端まで旅しましたが、塩だけの料理が本当においしいですね。素材の味が活きるし、飽きることがありません。
一方で、「塩使い」にはむずかしさもあります。料理人の世界でも「塩ふり3年」といわれますが、塩がふれるようになってはじめて1人前と呼ばれるぐらい、繊細なのですよね。塩の魅力と、私が考える料理のおいしさを伝えつつ、皆さんが「塩づかい」をできるようになってほしい――。そう思って、この本に臨みました。
―塩を計量スプーンではからず、指ではかる「ひとつまみ」も本書の大きな特徴です。
荻野 女子栄養大学から計量スプーンを使わないレシピ本が出るなんて、びっくりですよね(笑)。でもね、「塩ひとつまみ」の量の感覚がつかめれば、自信を持っておいしい料理を作れますよ。これまで世界じゅうで家庭料理を教わってきましたけれど、皆さんほとんど「手ばかり」です。指でつまんで、舌で感じて、足りなければあとで足す。おいしい料理を作れるようになるには、まずはこんな風に作って、料理の勘どころを育てることだと思います。
―「料理の勘」はだれでも育つものでしょうか?
荻野 絶対に育ちます! くり返し作れば、かならず勘は育って、ほかのお料理もおいしく作れるようになります。料理本や料理雑誌の編集者が気をまわしてレシピをていねいに書きすぎるから、みんな料理が上手くならないのではないかと思うことすらあります(笑)。
昔は今ほどなんでもそろいませんでしたから、その季節ごとに旬のもの…同じ食材ばかり料理して食べていました。そしてくり返し同じ料理を作るうちに、料理全般の勘が宿った人が多いのではないでしょうか。
五感を使ってくり返し作ると、いろいろな「加減」がわかるようになります。手でさわって、目で見て、音を聞いて、においをかいで、ある程度煮えたら味見して、自分の好きな味に調整する。『塩ひとつまみ それだけでおいしく』のレシピは説明も工程できるだけ省くことで、五感を使っておいしく仕上げていく力を養えるようにしたつもりです。
最後の最後まで、自分で作って食べるために 「塩ひとつまみ」でシンプルな料理を。
―荻野さんは、どんなふうに料理を学ばれたのですか?
荻野 私は実家が東京の深川で、両親は天ぷら屋を営んでいました。祖父母も同居していたのですが、私はずっと祖母が料理する様子をそばで見てきました。だから、小学校1年生ぐらいでひと通りの料理はできたのではないかしら。昔はね、今みたいにスイッチ1つでガスの火がつくわけではありません。五徳があって、マッチを擦って火をつけるところから始まるので、普通の子どもはこわがりました。でも、私は好きでずっと見ていたから、小さいときからできるんです。
世界じゅうを食べ歩きしたいと思うようになったのは、中学校の担任の先生が連れて行ってくれたロシア料理との出合いがきっかけです。初めて食べる味にとても興奮して、本を読んで調べたりしましたし、大人になってからは東京のロシア料理の店にも通いました。やがて「やっぱり現地に行きたい。行かなくちゃ」と強く思うようになりました。
念願かなってモスクワに行ったのが29歳のとき。でも、1回でロシア料理がわかるなんてとんでもない! なんといっても大国ですから、東と西ではぜんぜん料理が違うんですよ。ピロシキ1つでも、ヨーロッパ側ではオーブンを使って焼いているし、シベリア側では油で揚げている。じゃあ、ほかの場所はどうなんだろうって。しかも、季節によっても違うことばかり! これは絶対、端から端までまわるしかないと思いました。
今から思えばどこにそんなエネルギーがあったのかとも思いますが、子育てしながらもタイミングが合えば数日間でも行って、現地の風を感じるようにしていました。
―外国の料理を日本に紹介するとき、気をつけていることはありますか?
荻野 外国で食べたり、教わった料理の中でも、日本人の舌に合うもの、日本で食材がそろうもの、レシピとして作りやすいものを選ぶようにしています。今回の本にはロシア料理のほか、グルジアやアルバニア、中国やチベット、インド、トルコやモロッコなど世界じゅうの家庭料理のおいしいエッセンスが詰まっています。和食ももちろんあります。作り方は3ステップのシンプルなものばかりとしました。
私自身は料理が仕事ですから、手が込んだものでも作りますし、苦になることはありません。でも、今はどこの国に行っても、手のかかる料理は敬遠されがちですね。若い人だけでなく、年をとるにつれて、私の友人なども料理が苦になってくるといいます。
でも、自分の健康のことを考えたら、やっぱり自分で料理することがいちばんだと思います。外食すればおいしいものは食べられますし、お金を出せばでき合いのものも手に入るけど、やっぱり家庭料理に勝るものはありません。家庭料理は養生食ですから。
人間は生かされている存在ですので、やっぱり自分が健康でいることを考えないとね。最後の最後まで、自分で作って食べるのが理想。だからこそ長続きするように、シンプルにおいしく、味つけは「塩ひとつまみ」で簡単に。そんな思いも込めて、今回の本で料理を紹介しています。
―『塩ひとつまみ それだけでおいしく』は、テーマである「塩」のことだけでなく、家庭料理を作るうえでの示唆に満ちた言葉がたくさんあります。ぜひたくさんのかたに、シンプルで飽きのこない、適塩の料理を実感していただきたいですね。ありがとうございました。
『塩ひとつまみ それだけでおいしく』
■荻野恭子/著
■B5判 96ページ
■定価:1,540円(本体1,400円+税)
■発行年月:2021年9月